【ワイナリー】
1968年にパリでビスケットの製造販売をしていた美食家でベルギー人の父が、息子ジャック セイスのために4.5haのドメーヌ グライエを購入したのがドメーヌの始まりです。
自らの名前、ジャックをもじってドメーヌ・デュジャックと名付けました。
その前2年は、ヴォルネイのプスドールのジェラール ポテルの下で修業。アルマン ルソーやクレール ダユ、アンリ グージュ、DRCのオベール ド ヴィレーヌらと親交しました。68年は難しい年でバルクで売却し、69年がドメーヌ初のリリースとなりました。
98年からは長男ジェレミーが仕事に加わり、その妻で醸造家であるダイアナと弟のアレックの3人で運営しています。ジェレミーとアレックがそれぞれ醸造と販売を担当し、ドメーヌを実質的に引き継いでいます。ジャックの妻もジェレミーの妻もアメリカ人で、ジェレミー夫人ダイアナは醸造学を修めたエノローグ。
2000年にジェレミーは父のサポートの元、「デュジャック・フィス・エ・ペール」の名でネゴシアンビジネスを開始。
会社名として「ペール・エ・フィス」(父子)という表記はよく見かけますが、「フィス・エ・ペール」(子父)という珍しい名前なのは、中心となるのが息子であるからです。
このデュジャック・フィス・エ・ペールは、ネゴシアンといっても単に畑が自分たちが所有していないだけで、畑の管理や手入れ、ブドウの収穫までドメーヌのスタッフが行います。
ブドウの購入契約は量に応じてではなく面積単位なので、収量制限も思い通りとなります。したがって、実質的にはドメーヌものと変わらないものの、ドメーヌとネゴスで重複するアペラシオン(例えば村名モレ・サン・ドニ)があってもそれぞれ別々に醸造、瓶詰めされます。
【畑】
父のビスケット会社がナビスコに買収されたことで得た資金などで、1969年にエシェゾーとボンヌ マールを、70年にクロ ド ラ ロッシュを購入しました。05年にド モンティーユとともにトマ モワラールを買収し、シャンベルタン、ロマネ サン ヴィヴァン、ボーヌ ロマネ1級畑マルコンソールを入手しました。
もともと所有していたボンヌ・マールとヴォーヌ・ロマネ1級のボーモンは面積が増し、ヴォーヌ・ロマネでも最高の1級畑と謳われるマルコンソールには新たに1.57haという広い面積を所有するまでになりました。
【栽培】
1986年から2001年までローヌ出身のクリストフ モーリンが担当。彼の死後、リリアン ロービンが引き継いで素晴らしいブドウを育てています。1986年以来、除草剤、殺虫剤は使用せず、硫黄、硫酸銅以外の防カビ剤も使用を控えてきました。01年から有機栽培に移行し、グランクリュを中心とした大半の区画でビオディナミが実施されています。セレクション マッサールが主で、クローンはほとんど使われておりません。30年以下の若い樹は、コルドン ロワイヤルで剪定され、厳しい芽かきをおこなっています。必要な場合は、除葉や摘果をおこないます。また、大人数でしっかりとした選果し、十分熟した黒い果実のみを使用しています。
【醸造】
ジャックは、複雑さを与え、発酵をゆっくりとさせます。以前は、ワインの調和を増すために100%茎を残してきましたが、最近は年によりかなり除梗しています。自然発酵では31~32℃を超えることはほとんどないので、基本的に冷却はしません。抽出をしっかりとおこなうために、通常ピジャージュがおこなわれます。ワインは、10~20年後にベストになるように造られています。新樽率は、村名で45%、1級で60%、特級で90~100%。
ジャック時代のワイン造りは完全無除梗による全房醸造がこのドメーヌの特徴であり、梗が色素を吸収するためワインの色調は比較的淡く、しかしながら香りと味わいはしっかりしているというものでした。ジェレミーになってからはヴィンテージに応じて除梗率を変え、以前よりも色合いはしっかり、果実味も充実したものとなっています。
またドメーヌはコート・ド・ニュイでは珍しい白ワインの造り手でもあります。1985年の霜害で村名モレ・サン・ドニの一部が枯死したのを機会にシャルドネを植え、モレ・サン・ドニ・ブランとしてリリースしたのが始まり。さらにはモレ・サン・ドニ1級モン・リュイザンに入手した0.6haの畑にもシャルドネを植え、2000年から白ワインを送り出しています。
2018ブルゴーニュ シャルドネ デュジャック フィス エ ペール
- ブドウ品種
- ピノノワール
- タイプ
- 白ワイン
- ボディ
- 辛口
- 味わい
- アプリコットや白桃のシロップ漬けの香り。凝縮した果実味にしっかりとした酸がバランスよく全体を引き締めています。
- SOLD OUT